大津ひろ子の東京都議会発言
大津委員
今回、財政委員会に戻ってまいりまして、これまでも、将来世代への負担に配慮し、都債残高を減らしていくべきと一貫して主張してまいりました都債について質問をいたします。
都債を発行、つまり借金をして公共施設を整備することは、将来世代も、その施設の恩恵を受けることにはなります。このため、都債は、世代間の負担を平準化する役割も持っております。
しかし同時に、人口減少社会を迎える中にあって、将来世代は自分で決定することができない借金の返済義務を負うことにもなることから、都債を過剰に発行して、将来の負の遺産として決して残してはいけないものでもあります。
平成三十年度決算において、一般会計の都債残高は、約千八百億円減って約五兆円となりました。これまでの都の取り組みを理解するためにも、この五兆円という数字の意味合いをここで明確にしておきたいと思います。
そこでまず、現状を理解する上で、都民の借金である都債残高について、平成以降のこれまでの推移を伺います。
山田主計部長
一般会計の都債残高でございますけれども、平成元年度は一兆六千四百三十八億円でありましたけれども、その後、バブル経済崩壊に伴う税収減や、国の経済対策に伴う財政的な対応として都債を活用したことによりまして、十三年度には、最高額の七兆六千三百八十四億円となったところでございます。
平成十四年度以降は、財政再建の取り組みを進める中で、起債の対象となる投資的経費の削減や、都債の新規発行を抑制したことで、都債残高は減少傾向となりました。
一方、平成二十年のリーマンショックによりまして、税収が大きく減少した際には、財政再建を通じて培った都債の発行余力を活用するなどして、都民サービスの低下を来すことないよう対応を図ったことから、都債残高は一時的に増加に転じました。
平成二十五年度以降は、税収が堅調に推移する中、将来世代の負担を考慮し、都債の発行額を抑制するなど、都債残高は着実に減少をしております。
こうした取り組みの結果、平成三十年度の都債残高は五兆五百五十一億円となり、直近の十年間で見ても約二割減少しているところでございます。
大津委員
景気が悪化し、税収が減少する局面で、都債を大量に発行すれば、残高はあっという間にふえていきますが、一旦膨張した残高を減らすには、長い年月がかかることがわかってきます。
日本全体が人口減少局面を迎える中、国の借金は八百兆円を超え、毎年増加の一途をたどっています。
都は、平成十一年度に財政再建推進プランを策定し、血のにじむような努力により借金の返済を進め、残高を着実に、堅実に減らしてまいりました。残高の総額だけを聞いても、過去と比較して、国民や都民一人一人が担う負担がどのような状況になっているのか、意外とわかりにくい点もございます。
そこで、都民一人当たりの都債残高が当時と比べてどうなっているのか、国との比較も含めてわかりやすく伺います。
山田主計部長
都民一人当たりの都債残高でございますけれども、都が財政再建推進プランを策定した平成十一年度と三十年度を比較いたしますと、この十九年間で、六十万円から三十六万円へと約四割減少をしております。
一方、国民一人当たりの国債の残高は、同じ時期におきまして、二百六十二万円から六百九十二万円と約三倍に膨らんでいるところでございます。
大津委員
人口が減少すればするほど、また残高が減らなければ、一人当たりの負担はますますふえていきます。都債残高を減らす都の取り組みは、国とは異なり、人口一人当たりを見ても着実に進んできています。
人口でいえば、政策企画局の推計によると、東京の十五歳から六十四歳までの生産人口は、しばらくふえるものの、二〇二五年にピークを迎え、二〇六〇年にはピークから約三〇%減少すると推計されています。先日の報道では、ことしの日本の出生数が九十万人を下回ると想定されており、仮にそうなれば、推計よりも二年早く九十万人を割ることになります。ますます超高齢化社会が日本で進行することになっていきます。
こうしたことから、担税力を持った年齢層一人一人にのしかかる実質的な負担は増加していき、私たちは、都債の活用に当たって、この点を肝に銘じておく必要があります。
平成に入ってからは、都財政は、バブル崩壊後の都債の大量発行や基金の取り崩しによって、財政再建団体への転落の危機にも見舞われました。この危機に対して、東京都は、強い意思のもと、私たち都議会と一体となって、人件費の見直しなど財政再建の努力を重ね、現在の財政基盤を構築することができましたが、一方では、都は、景気に左右されやすい税収構造であることには変わりはありません。
今後、社会保障関係費、社会資本ストックの維持更新経費など、膨大な財政需要を想定する中にあって、将来を見据えて財政運営をどのように行っていくのか局長に伺います。
武市財務局長
東京都は、人口減少や、さらなる少子高齢化への対応、社会資本ストックの維持更新など、さまざまな課題に直面をしております。また、東京、ひいては日本全体の持続的成長につなげる施策を積極的に展開していく必要もございます。
一方で、都の歳入の根幹をなす都税収入は不安定な構造にあることに加えまして、今後は、先般の不合理な税制度の見直しに伴う減収が発生をしてまいります。こうした中、東京の将来を見据えた施策を揺るぎなく進めていくためには、お話にもございました都債の計画的な発行、管理など、中長期的な視点に立った戦略的な財政運営を行っていく必要がございます。
今後とも、一つ一つの事業の効率性、実効性を高めるとともに、都債や基金を計画的に活用するなど持続可能な財政運営を行いまして、財政の健全性の維持に努め、施策展開を財政面からしっかりと支えていく所存でございます。
大津委員
次に、旧こどもの城施設についてお伺いします。
旧こどもの城は、地元渋谷区に所在をし、国道二四六号、青山通り沿いにあり、かつて都有地であったものを国に売却し、国立の児童センター、こどもの城として、国が整備運営をしてまいりました。それが今から四年前、惜しまれながらも、こどもの城は国が閉館をしましたが、今般、都が、今ある建物を含め都民の城として活用していくと取得をしました。四年間放置されておりまして、地元からは防犯上の危機をさまざま訴えられていました。
こどもの城跡地につきましては、私も、予算特別委員会や一般質問においても触れてまいり、積極的に質疑を行ってきたものですが、かつてのこどもの城を都が新たな施設として生まれ変わらせるということは、非常に感慨深い思いを持っています。
本件に関するこれまでの経緯なども含め、確認をしながら、今後の展望を明らかにしたいと存じます。
まず、この土地を国に売却するまでの、都有地としての歴史的経緯と、国に売却した時期、理由について改めて確認します。
五十嵐財産運用部長
本件土地につきましては、明治四十年以降、都電青山車庫、教習所として、およそ七十年にわたり利用しておりましたが、その後、昭和五十二年に交通局から財務局に引き継がれ、国に売却いたしました。
国への売却理由については、昭和五十四年、当時の厚生省から、国際児童年記念事業の一環としてこどもの城を建設したいので、本件土地を売却してほしい旨の申し出があり、これについて検討した結果、都として売り払ったものでございます。
なお、本件土地が交通局から財務局に引き継がれた経緯でございますが、交通局における財政再建計画に定められた処分予定地であり、その計画の実施により引き継がれたものでございます。
大津委員
国際児童年記念事業の一環としてこどもの城を建設することを目的に、売却をしたものでした。この地区には、こうした旧こどもの城のほか、同じく、惜しまれながらも閉館をした旧都立児童会館がすぐ近くにあるなど、子供たちの生きる力育成に深くかかわってきたという歴史と土地柄がございます。
かつてこどもの城には、愛子内親王殿下が幼少期に通われ、同年代の子供たちと交流を楽しみました。児童会館は、現上皇である当時の皇太子殿下ご成婚を記念して、都が建設、開館したものであり、開館式典には現上皇后陛下のご臨席を賜るなど、皇室とのゆかりも大きい地域でもありました。
都には、こうした地域の歴史、こどもの城が担ってきた役割、魂というものを大切にした上で、子供だけとかお年寄りだけとか障害のある方だけとか、特定の誰かのためだけに特化することなく、誰しもが一人残らず、都民みんなのものという観点から、全世代交流もできる、現在の都民ニーズに即した新たな活用を実現してもらいたいと要望をされています。
本年二月に、議会に対し、旧こどもの城活用の基本的考え方が示されましたけれども、都として、旧こどもの城を都民の城として活用していくための基本的な考えについて伺います。
五十嵐財産運用部長
旧こどもの城の既存建物を活用して、都民の城としていくのに先立ちまして、まずは、短期利用との位置づけで、必要最小限度の改修を施し、来年に控えました東京二〇二〇大会において、建物の一部を活用することといたしております。
その後の当面の間は、中期利用と位置づけまして、旧こどもの城の既存建物を活用して、誰もが利用できる施設へとリノベーションし、都民の城と呼べるような複合拠点を創出していくこととしております。中期利用におきましては、かつてのこどもの城が果たしてきた役割を十分に踏まえ、子供のための機能を大切にしながら、あらゆる都民が集い、交流し、そして成長できる場にすることを目指し、有識者のアドバイスをいただきながら、庁内検討会で活用検討を進めるところでございます。
改修に当たりましては、既存建物を可能な限り生かすことでコストを最小限に抑えるべく、改修内容などの精査を入念に行ってまいります。さらに、将来的には、周辺都有地とも一体となって活用を行い、都の施策実現を図るとともに、地域ニーズや周辺まちづくりにも貢献していくことを目指しておりまして、これを長期利用と位置づけているところでございます。
大津委員
ぜひ、都民のニーズがどこにあるかということを常に念頭に置いて検討を進めながら、短期、中期、長期という三段階での活用のステージを展開していっていただきたいと思います。
また、コストに関して、都民の城においては、既存施設を可能な限り活用するということで、コスト抑制を図るということもあり、コスト意識が重要となってくると思います。
予算特別委員会で質疑をいたしました青山劇場、円形劇場、これら今まで担ってきた機能を生かし、改修内容の精査を今後入念に行っていきますという画期的な答弁も頂戴したところですが、こうした中で、かつてのこどもの城には旧青山劇場、日本初の完全円形オープンスペースが特徴の存在でありました旧青山円形劇場など、改修するには大がかりな設備更新を伴うのではないかと思われる点もありますけれども、こうしたかつての劇場の改修に関する考え方について伺います。
五十嵐財産運用部長
かつての青山劇場や青山円形劇場につきましては、都民の城における各種事業の推進につなげるとともに、芸術文化などの活動の場としても提供していきたいと考えております。その際、ご指摘のように、劇場の設備更新等には、大きなコストが見込まれることから、劇場についても、既存施設の有効活用を図りつつ、コストの抑制に鋭意努めてまいります。
具体的には、都民の城で実施する各種事業に伴うシンポジウム、学会、講演会等に活用できる多目的ホールとして整備し、そのほか、誰もが幅広い用途に利用できる、自由な芸術文化活動等の場としても提供することを想定しているところでございます。
大津委員
劇場は、都民の自由な芸術文化活動の場として、多目的ホールとして活用していくとのこと、コスト面を踏まえながらも、施設を象徴する核となるものを、都民の城においてもしっかりと活用を図ってもらいたいと思います。
加えて、旧こどもの城には、故岡本太郎氏が制作をしました、こどもの樹オブジェがあります。これも予算特別委員会で質問をし、引き継ぎ、設置をすることを考えているとの答弁をもらいました。駅にある渋谷マークシティの中には、岡本太郎氏の最高傑作の一つ、巨大壁画、明日の神話も展示されており、いろいろな象徴的な存在として、これからも盛り上げて、公開をしてもらいたいと思います。
さて、地元からは、こどもの城周辺地域に関してさまざまな要望を受けています。
まずは、この辺一帯は美竹、青葉地区と呼ばれ、皇室であります梨本宮家がお住まいになっている土地で、今も末裔が一隅に居住されております。広大な邸宅の名残として、渋谷区においては極めて重要な緑と湧水を残し、たくさんの昆虫、野鳥が訪れる自然環境の中にあります。この地区は文化、伝統の薫りを伝えるたたずまいと位置づけています。皇室、宮家の児童への慈しみの心が、何らかの形で反映をされてきた特別の歴史と土地柄を大切にしてほしいということを強く、地元からは要望をされています。
加えて、子供、そして土地、歴史を尊重するという点で、子供のテーマを必ず残した上で、児童会館跡地、旧こどもの城、青山病院跡地、これ一体活用でもあり、児童、若者、中高年のさまざまな方たちが、この三つの都有施設のどこかに行けば、人生のおのおのの時期を充実できる三つの連携コア施設、全世代間交流──もう渋谷はグルメ、雑貨、洋服、さまざまな複合施設、超高層ビルが次々と建つ中で、もっともっと心からの魂の昇華、精神的な高まりのソフトの入った施設を、ビルトインされたものを、ビルドすることを非常に望んでいるところでもあります。
そういう中で、もう一つ、バランスのいい配置も要望をされています。このパネルは、こどもの城や児童会館を中心に、わずか直径一キロで円を描いたものであります。ここの中に起業支援、就業支援、同じような機能がたくさん入っております。
コスモス青山、この中には産業労働局が起業支援のフロアを設けており、キャスト、以前、都営住宅でした、今は七十年の借地権で都市整備局が民間開発事業に出し、ここにも就業支援フロアが入っています。
そして児童会館、ここも都市整備局が民間事業開発する中で、構想の一つに起業支援、就業支援を、既に一つとして入れてきています。また財務局、こどもの城の計画の中に創業支援、起業支援という項目が入っております。
そしてきのう、渋谷の駅の上に、非常に高い、四十七階建ての新たなスクランブルスクエアというビルが、十一月一日オープンですけれども、お披露目式を迎えまして、安倍首相や知事や、さまざまな方たちも出席していた次第ですが、実は、その中にも共創施設、産官学の創業施設が既に入りました。
そういった意味では、わずか一キロの直径の中に五カ所、都絡みで同じ施設が固まっている。これらに関しては、もっとさまざまある重要な都の政策を実現できるような、昇華できるような、バランスのよい配置も考えていく時期ではないかと考えます。
例えば、葉っぱのビジネスなんていうのは有名でしたけれども、あれは、おばあちゃんたちが徳島県の上勝町で、もみじや落ち葉やお花を収穫して、料理のつまとして全国に出荷をするおばあちゃんたちの葉っぱビジネス、これも立派な起業でありまして、何も、渋谷だから都心だからといって、それが五つも連鎖するよりも、東京の中で、千四百万人都民のために多少の分散をしても、また新しい発想での起業が起こるのではないかと思っています。
ということで、これらのさまざまな地元の要望もありますが、そこで、この基本計画をどういったものにしていくのか、今後どのように進めていくのかをお伺いいたします。
五十嵐財産運用部長
来年度以降、都民の城の設計に着手する前段として、全体的な改修の方針を定めた改修基本計画を、今年度中に策定することを目指しているところでございます。その中では、これまでの庁内検討の内容を踏まえ、改修を行った都民の城が目指す姿や都民の城のコンセプト、施設利用のイメージを具体化していくことを考えており、来月にも中間のまとめとしてお示しし、パブリックコメントを行うこととしております。そうした中で、地元の方々も含め、幅広く都民の皆様の声に耳を傾けていくことが重要と認識しております。
今後、施設のあり方についてさらに検討を深め、基本計画の成案を練り上げてまいります。
大津委員
都民ニーズに即した活用を図る上で、直接都民の声を聞くことは大変重要であり、現場を知ることも、そうした声に耳を傾ける結果でわかってくると思います。
実は、こどもの城と一体になったところで、都の共済組合病院でもありました青山病院跡地が今、あります。そこは立派な桜の木と湧水を、池を有していまして、今、TBSのプレハブ展示場、住宅展示場として貸し付けていますけれども、それも来年の三月までと伺っています。
例えば、渋谷区は農地ゼロですけれども、青山病院跡地は非常に自然に恵まれておりまして、土をもう少し大切にし、その上を余り長く塞がない、土を生かした、例えばソーシャルファームですとか都市農業ですとか、その都有地を生かした都の重点政策を昇華できるようなものに、また、時代時代で変わっていけば、そうしたテーマを変えながらも、土を残しながら、そうした都政政策を実行していくこともできるので、こどもの城と一体的に、オリ・パラの終わった後を今から見据えて、計画をしていくべきだと思います。
実は近くに、都営住宅跡地はキャスト──民間に事業等投げまして、七十年の借地権で、超高層ビルで民間に出しました。やはり、都有地は都有地として、民間が民間でできるような事業を都有地で改めて行わなくても、渋谷はもう三つも、四つも、五つも、既に開発が進んでおりますので、都有地を単に賃借料で稼ぐのが、稼げる東京ではなく、都有地から生み出せる質の高い、まことの都民の幸せのための都民サービス、これをいま一度考えていきたいと思いますし、そうしたことが地元で望んできていることでもあります。
ここまで、この土地をめぐる経緯などから、また改修についても、いろいろときょうは確認をさせていただきましたが、結びに、この施設が都民にとって夢と希望をもたらすような、まことに都民の利益に資するものへと生まれ変わらせていくための局長の意気込みといいますか、熱意をぜひお聞かせいただきたいと思います。
武市財務局長
本件につきまして、これまでは、まずは取得することを第一に、鋭意、国と交渉を進めてまいりまして、都議会の皆様のお力添えもいただきまして、今般、取得できましたことに、まずは御礼を申し上げますとともに、一つの区切りを迎えることができたというふうに考えております。
しかしながら、都民の城としての活用に向けましては、これからが本番でございます。ただいま質疑をいただきましたように、今年度の基本計画を経て、来年度には設計へと着実に歩みを進めていく必要がございます。
そのためには、関係各局が一丸となりまして、ラグビーでいえばスクラムを組み、連携することで、初めて、都民の城が都民の皆様にとって親しまれる、真に有益な施設となっていくと、このように考えております。
庁内検討組織の事務局を担う財務局といたしまして、関係各局との協力体制を今まで以上に強固にいたしまして、全庁を挙げた取り組みの牽引役として、その役割を担っていきたいと考えております。