インターン

インターン記録 Vol.1 震災編

東日本大震災、熊本地震に被災した子供たちが大きく成長し、大学生となって研修に来てくれました。感無量です。

東日本大震災(平23年2011年3月11日)
地震に遭いましたそのとき

松本理佐 國學院大学・文

私は福島県の郡山市の出身で、東日本大震災を生きて体験している。私はここで死ぬのではないかと子供ながらに思った。
当時はまだ小学 4 年生で、ちょうど帰りのホームルームをしている時だった。
突然ゴゴゴゴゴ、工事が始まったかのような凄まじい地鳴り音が聞こえ、3階の教室にいた私は、激しい揺れに襲われた。皆、机の下に必死で隠れた。体が小さかった私は机の下から投げ出されそうになり、渾身の力で机にしがみついた。 教室の花瓶は割れ、物は雪崩のように散乱し、あたりは恐怖で泣き叫ぶ友達の声が響いていた。
「私はここで死ぬのではないか」と子供ながらに思った。
三分間以上揺れ続けていたようだが、体感時間はもっと長かった。

揺れが収まった後、私たちは整列させられ、三階から一階に駆け下り、校庭に上靴のまま避難した。その後も余震がずっと続き、校庭が波打っているように見えた。
先月、池袋防災館で、東日本大震災を再現した揺れを体験する機会があったが、池袋防災館で体験したのは横揺れだけだったため、実際に私が経験した揺れとは恐怖の度合いが異なるものだった。 あの東日本大震災の揺れは縦にも横にも激しく体が揺さぶられ、気持ち悪くなるほどだった。

地震発生後、突然雪が降ってきた、3月の中旬であるにも関わらず。
さっきまで青空であったはずなのに、いったい何が起きているのか分からなかった。まるで天変地異である。混乱した頭のまま、親の迎えを心細く待っていたのを今でも鮮明に覚えている。

家に帰ると断水していた。お風呂も入れず、歯も磨けず、トイレはお風呂の残り湯で流すという生活をしたのが初めてで、当たり前の生活の尊さを実感した。日常を失って初めて、蛇口をひねれば水が出てくるという当たり前のことが、実は当たり前のことではないことを知った。
その日以降、福島県は津波・原発事故・風評被害とたくさんの困難を抱える県になってしまった。これからを生きる私たちがこの問題に立ち向かわなければならない。

熊本地震(平28年2016年4月14日)
熊本地震に遭いそして今

渡部千尋 日本大学・法

山崩れにより阿蘇大橋が崩落

前震のあった2016年4月14日夜、高校1年生になったばかりの私は、テレビを見ながらくつろいでいた。 すると突然、床を誰かが叩いたような音がし、その数秒後、今まで経験したことのない揺れが起こった。 テレビも大きく揺れ、電気もきく振り子のように揺れた。揺れがおさまった後も揺れているような感覚に陥った。

 その日以降、小さな揺れが一日に10回以上起こり、常に揺れている感覚に襲われ地震なのかもわからなくなっていた。
また、「音」にとても敏感になり、道路を走るトラックの音にさえ、地鳴りなのではないかと不安になった。高校は熊本市内にあったため、被害が大きくいつ学校に登校できるかもわからない状態だった。
 そして前震の二日後の深夜、就寝していた。横にあった手すりを掴んでしまうほど大きな揺れで、停電した。父が「津波警報出てる!」と叫んだ。
家から約3キロの距離に海があり、「あー死ぬんだな」と思った。幸い、津波は起こらず、本震でも被害はなく無事に生きている。
 この地震から学んだことがある。

Twitterなどでデマ情報が流れており、今冷静に考えればあり得ないことも、当時は不安から冷静さを失い、ちょっとしたことも信じてしまっていた。
このような状況下でもデマに流されない「メディア・リテラシー」(メディアからの情報を見極める能力)が必要だと思った。
 また、本震では停電が起こり、電気も水も使えない状況になったが、幸い、すぐに復旧した。我が家では、お風呂の水をもしもの場合に備えていたため、その数十分耐えることができた。
このことから、「備えあれば憂いなし」ということわざのように、つねにもしもに備え、防災グッズを用意したりすることが、生死にかかわるのではと感じた。

コロナ渦、マスクで3密に注意しながら研修にいらっしゃった時の記録です。

コロナ禍の学生この頃
令和2年研修生

石田智成 中央大学・法

コロナウイルスが流行し、入学式が中止、すべての授業がオンライン授業となった。
私は、外出しなくてもできること、将来の役に立つことを自分なりに考えた。 基本的な料理が作れるように練習している。
次にWordやExcelをある程度使いこなせるように、MOS (Microsoft Office Specialist)というパソコンの資格勉強をしている。
秋学期からは一部の授業が対面となったので、これを機に人間関係を構築していきたい。

松本理佐 國學院大學・文

 コロナの猛威により、自宅でオンライン化授業。様々な考え方を持っている人達と出会い、知見を広める場が大学あると思う。一番人生で動きたい時に、やりたいことができず残念であったが、後期に一部対面授業となる。友達に会って笑い合え、教授に直接話を聞けること、受講生の表情を見ながら議論できることが楽しく、対面授業の良さを実感。 
コロナ禍でコミュニケーションの大切さを痛感している。

渡部千尋 日本大学・法学部

 新型コロナウイルスが流行りだして以降、私も周りの友達も全く遊んでいない、遠出の外出をしている人はもちろん、飲み会などに行っている人はいない。実際若者は、我慢して自粛していると思う。いつまで、大学に登校できないのか不安だ。

  令和3年研修生

小林晃介 國學院大学・法

前期の授業は、オンラインで統一され、対面授業は一度も実施されなかった。資料も学内共通サイトからダウンロードして配布され、教科書も郵送で届けられた。校内への立入りは一切禁止となった。部活やサークルの勧誘も停止になり、思い描いていた大学生活とは大きく異なる結果になった。結局、入学して1年間は授業で大学内に入ることはできなかった。

富澤遼茉 法政大学・社

一年間の浪人生活を経て、入学した大学生活はオンライン授業の一年となった。新型コロナウイルスの拡散はとどまることを知らず、後期もオンラインでの授業となった。この1年間で学校に行ったのはわずか6日。小中高生は登校しているのに。高い学費をとられながらも、通信学校のような日々、来年度はオンラインでないことを心から願う。

帝京大学 法学部 岩崎一也

オンライン授業に反対。先生が話す一方通行で生徒とのコミュニケーションが無い。分からないところがあってもすぐに質問が出来ず、先生のメールアドレスに送って後日回答という形となる。対面授業であれば、授業中や授業が終わった時に質問ができるので大変楽であった。ここからはメリットを話すと、大学までの交通費と時間を節約できることです。私は大学まで2時間かかるのでその時間を睡眠に充てることができたことだろうか。

そしてコロナ渦の卒業論文が完成しました。

「源氏物語」から分かる感染症 ―研究レポートー

松本理佐 國學院大學・文 

 『源氏物語』成立当時の京都は、マラリアの蚊の発生に都合の良い気候・風土であったとされ、感染症として一般に流布していた。『源氏物語』の中にもマラリアのような症状に苦しむ描写が多く存在する。その他にも呼吸器疾患や消化器疾患の症状の一文が『源氏物語』の中にみられる。
  時はまだ平安、治療は加持祈祷であった。当時病は、自らの悪行が原因であると信じられていたため、治療法として加持祈祷が最も効果があるとされていた。『源氏物語』でも源氏がマラリアにかかった際、服用したのは薬剤ではなく護符であった。
一方、源氏物語的には病は、かかる対象者の弱さ・美しさ・女性らしさを強調するツールとして用いられたことが『源氏物語』を通して分かった。『源氏物語』内では流行り病にかかる女性は美しく、その可憐さが描かれることが多い。病は物語の中では登場人物のパーソナリティを強調する役割を持っていたことが判明した。
*『源氏物語』成立当時の医療は、「律令の医疾令の規定によると傷寒(寒気による病)、時気(季節の変調で起こる病)、瘧(マラリアの類)、利(下痢)、傷中(内臓の病)、金傷(刃物による傷)について治療できるように準備せよ」※注1と定められていた。
 参考文献
※注1 研究論文:黒野信子・大友達也「『源氏物語』における「病」小考 ―空蝉巻、夕顔巻、若紫巻を中心にー」第 51 号 2018 年 3 月 研究紀要

スペイン風邪から学ぶ感染症

石田智成 中央大学・法 

今から約100年前にコロナウイルスと同じく、世界中を巻き込んだ感染症「スペイン風邪」が流行した。本稿では次の4点を突き詰めることで、コロナウイルスの対応が国から個人に至るまで進んでくれ一刻も早く普段の生活が戻る手助けになることを願ってやまない。

➊ 発生源と名前の由来
スペイン風邪は、第一次世界大戦時に最初のパンデミックが起きた場所がスペインだったことからこの名がつけられた。但し、アメリカ中西部カンザス州で発生したインフルエンザ患者が、このスペイン風邪の発端とされており、発祥地はスペインではない。
第一次世界大戦においてスペインは中立国で、ヨーロッパ大陸に上陸するアメリカ軍に対して衛生検閲やスペイン風邪流行の報道が制限されたことが、スペインにおける感染拡大の主な要因となっている。

➋ 世界的な感染爆発の原因
スペイン風邪は第一波と第二波に分けられており、特に第二波は肺炎と結びついたことで突然変異し、第一波と比べて致死率が極めて高くなった。加えて、アメリカ、スペインに続き、世界中で感染が広がった。
最大の理由として、近代から著しく進歩した交通技術が挙げられる。前近代の風土病(黒死病など)の時代とは異なり、第一次世界大戦時においては大量の人、物を運搬できる汽車や鉄道、蒸気船が普及していたことが、感染を助長していた。

➌ 感染が著しかった地域とその理由
スペイン風邪の特徴は、地域間での致死率の差だ。欧米諸国と、インド・アフリカ・南米などの植民地とされていた地域とでは、圧倒的に後者の致死率の方が高い。
中でも私が注目したのは。イギリス領インドの致死率である。この差については、1)気候の変動、2)経済格差、3)生活水準の格差、.の要素が関係していると考察した。
上記1)と2)について、インドでは以下の統計が取れている。
「インド内でも死亡率は地域ごとにさまざまであった。インド西部、中部、北西部での死亡率は40パーミル(*)以上だったのに対し、インド南東部や北東部は20パーミル以下であった。原因は肺炎の併発とされ、肺炎は気温の変化の振れ幅が広いほど併発しやすいとする説がある。都市地域、農村地域の死亡率格差にも注目したい。例えばボンベイ管区における農村死亡率は61.9パーミルだったが、都市部死亡率はその約半分である30.5パーミルであった。」(出典:日本評論社、経済学雑誌(平成11年12月創刊)
*パーミル=1000分の1を1とする単位。千分率ともいう。

上記3)の生活水準の格差は2)の経済格差に準ずるものであるが、以下の要素が関係している。
・モンスーンの不調や第一次世界大戦に起因するインフレ圧力による、穀物価格の上昇
・一般市民の栄養不足の顕在化
・栄養状態の悪化が肺炎の症状に大きく影響すること
これ以外にも、インフラ整備が整っておらず、病院の数が少ないことなども感染拡大の理由として挙げられている。

❹コロナウイルスとの共通点
スペイン風邪とコロナウイルスの共通点を以下にまとめた。
・世界規模の感染症であること
・インド、南米(特にブラジル)の感染が著しいこと
・最初に感染爆発した国が感染症の存在を隠蔽しようとしたこと

私は日本が西洋諸国と比べて感染者数が少ないのは、衛生観念の違いがあることに着目した。「手洗い」「うがい」を子供の頃から習慣づけることで感染者数に差が開いたのかもしれない。コロナ渦が影響して、日本国民全体が一層手洗いうがいを徹底した結果、今年のインフルエンザ患者数は昨年と比べて1000分の1に減少したのである。
私は引き続き外出時のマスク着用やうがい手洗いを徹底することで、帰宅後の家族間での感染リスクを少しでも抑えていくつもりである。大切なことは個人間で何ができるのかを自ら考察し、実際に動くことではないのだろうか。