談話室

写真は津波の水圧で圧迫された車両(陸全高田市)

東日本大震災に遭った当時小4年Mさんが、大学1年となりました。大津事務所に研修に来てくれた時の日記

令和3年3月12日(金) 突然の地震に突然の雪、天変地異 郡山市
東日本大震災2011(H23)年3月11日

國學院大學1年生 M・Rさん

私は福島県の郡山市の出身で、東日本大震災を生きて体験している。
私はここで死ぬのではないかと子供ながらに思った。
当時はまだ小学 4 年生で、ちょうど帰りのホームルームをしていた時だった…。ゴゴゴゴゴ、と突然工事が始まったかのような凄まじい地鳴り音が聞こえ、3階の教室にいた私は、激しい揺れに襲われた。皆、机の下に必死で隠れた。体が小さかった私は机の下から投げ出されそうになり、渾身の力で机にしがみついた。教室の花瓶は割れ、物は雪崩のように散乱し、あたりは恐怖で泣き叫ぶ友達の声が響いていた。「私はここで死ぬのではないか」と子供ながらに思った。
3分間以上揺れ続けていたようだが、体感時間はもっと長かった。永遠に揺れているような感覚さえあった。

揺れが収まった後私たちはすぐに整列させられ、3階から1階に駆け下り、校庭に上靴のまま非難した。その後も余震がずっと続き、校庭が波打っているように見えた。
先月、東日本大震災を再現した揺れを池袋防災館で体験する機会があったが、池袋防災館で体験したのは横揺れだけだったため、実際に私が経験した揺れとは恐怖の度合いが異なるものだった。あの東日本大震災の揺れは縦にも横にも激しく体が揺さぶられ、気持ち悪くなるほどだった。
地震発生後、突然雪が降ってきた、3月の中旬であるにも関わらず。
さっきまで青空であったはずなのに、いったい何が起きているのか分からなかった。まるで天変地異である。混乱した頭のまま、親の迎えを心細く待っていたのを今でも鮮明に覚えている。
家に帰ると断水していた。お風呂も入れず、歯も磨けず、トイレはお風呂の残り湯で流すという生活をしたのが初めてで、当たり前の生活の尊さを実感した。日常を失って初めて、蛇口をひねれば水が出てくるという当たり前のことが、実は当たり前のことではないことを知った。
その日以降、福島県は津波・原発事故・風評被害とたくさんの困難を抱える県になってしまった。これからを生きる私たちがこの問題に立ち向かわなければならないが、先行き不透明な毎日に不安は募るばかりである。