談話室

令和3年3月10日(水) 東京都平和の日

昭和20(1945)年3月10日、76年前の今日、第二次世界大戦の大空襲によって、東京は焼け野原と化し、約10万5400人の命が失われました。
そして、東京都の島である「硫黄島」は同年2月19日、米軍に攻撃されました。10数万人の大軍に対し、日本2万1200人。36日間の戦闘の末、日本は兵士のほとんど1万9400人が戦死しました。

「国の為重きつとめを果たし得で、矢弾尽き果て散るぞ悲しき」。指揮官栗林中将が最後に日本本土に打った電文です。戦争が終わり、硫黄島で亡くなった日本兵の遺骨は、地下に当時のまま眠っています。そのことを忘れない。戦没者の方たちの遺骨や遺品を家族や故郷に戻せるように、東京都にも働きかけていきます。そして、もう二度と戦争を起こさないためにも…。

 硫黄島は上空にまで硫黄の臭いがします。青い空の下には硫黄島と青い海。豪の中は熱い。火山活動で地下水はなく、天水に依存します。熱く苦しい追いつめられた過酷な戦いだったでしょう。硫黄が丘は島で一番硫黄が露出している所です。千鳥ヶ浜は美しい砂浜です。しかし、軍艦の沈没船が今もなお、横たわっています。

 総務委員長だった平成18年自分の足で硫黄島に立ったとき、「平和であること」「世界平和を創り出すこと」が、本体の議会と政治家の最も大切な使命と捉え、平和への義務を背負っていきたいと思いました。
都はもう二度と戦争の惨禍を繰り返さないことを誓い、平成2年に「東京都平和の日条例」を制定し、3月10日を「東京都平和の日」と定めました。


硫黄島の水平砲