平成26年6月5日(金) 道路の中央分離帯菜園
68年前の今日、昭和21年の昭和通りの写真です。ずっと頭から離れなかった写真です。
「1946(昭和21)年6月5日、戦中に引き続き戦後も食料不足を補うため、昭和通りの中央分離帯を菜園にして町会単位で栽培した麦が刈り入れを迎えた。7畝(約690㎡)から3俵(180㎏)を収穫したという。「共同通信社蔵」
(写真と文:写真展「関東大震災と東京の復興」より。新聞通信調査会が2012年2月、東京駅丸の内地下広場で主催)
場所は江戸橋付近の中央区昭和通りと永代通りの交差点あたり。道路の中央分離帯を田んぼにして稲作をして飢えをしのいだ人々のたくましさに、言葉が出ません。"復興は必ず成し遂げられる"というメッセージの込められた、震災や戦災から東京が立ち直っていく姿を写真で描いた写真展でした。
* 昭和21年は、関東大震災(1923(大正12)年9月1日)から23年目。また終戦の翌年。