平成24年3月10日(土) 150年余東京の火災第3部 東京大空襲<地震編>
東京は、この150年間余で、安政の大地震、関東大震災、そして東京大空襲と3度焼け野原になりました。
第2次世界大戦による100回を超える空襲を、昭和17年(1942)4月18日を初めに、終戦の昭和20年8月15日まで東京は受けたのです。渋谷区は11回も空襲にあいました(東京都戦災史より)。
特に、昭和20年(1945)3月10日、下町地区では米軍B29爆撃機325機による空襲が酷く、2時間余りで10万人ともいわれる命を失いました。
東京都は平和の日条例をつくり3月10日と定め、平和記念碑を都立横網町公園に建設し、東京空襲犠牲者名簿を納めました。平和の日の今日、被災者の西村信友さんが「江東区門前仲町で空襲火災に襲われた時、防空壕の中さえも火の粉が飛んできて危ないから親子に逃げてもらった。しかし二度と戻らない人となった親子にたいして、危ないから逃げてくださいと自分は嘘をついたことになるのではないか」と、辛い胸中を告白してくださいました。
最悪の人災である戦争という過ちを二度と繰り返さないよう、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念します。戦後60年戦禍に犯されていない今の日本であり続けるよう。
石原知事&中村議長