令和4年4月4日(月) 二度と戦争をしない平和主義の誓い ロシアとウクライナの戦争に寄せて
二度と戦争をしない平和主義の誓い 憲法9条について
2022年2月、ロシアはウクライナへ侵略をはじめました。この現代にあり得ない戦争が勃発したのです。改めて、世界の平和を考えてみました。
日本の平和憲法は、太平洋戦争までの日本人がたどった戦争の歴史をくりかえさないために作られたものです。
先の大戦は、直接戦闘を行った軍人のみならず、戦闘地帯となった国々と地域でたくさんの犠牲者を出しました。私の母親の兄も、「体格が良い」と真っ先に召集令状が来て、フィリピン・レイテ島の戦闘で戦死してしまいました。遺骨は戻らず、戦地の砂が入れられた木箱が戻ってきただけでした。
太平洋戦争・第二次大戦で、日本人は軍人230万人・民間人80万人、合計310万人が命を落とました。この他に、戦争当事国の犠牲者は、米国が軍人40万人、独が軍人280万人・一般人250万人、中国は軍人130万人・民間人800万人以上とされています。(各国政府発表)
この犠牲者の中で、日本軍人の死因でいちばん多かったのが「餓死」でした。その割合は6割に達するという説もあります。この説は歴史学者の故・藤原彰氏(一橋大名誉教授)により唱えられました。藤原氏は、旧厚生省援護局作成の地域別戦没者(1964年発表)を基礎データに独自の分析を試み、『餓死した英霊たち』(青木書店)を著しました。
この著書の中で、全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと試算。さらに「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけています。
近代になり、総力戦という形態になった戦争において、いちばん重要となる要素は、物資の供給と補充という「兵站」にあります。最前線の兵士から後方支援にあたる部隊に至るまで、武器はもちろん食糧といった物資を「どれだけ」「いつ」「どのように」届けたかは、戦闘行動にあたっては最も大切なこととなり、その記録も詳細なものが残るはずです。
しかし日本軍と政府にはこれらの記録がほとんど残っていませでした。そもそも日本軍はこの「兵站」を重要視していなかったとの意見を、作家の半藤一利氏は述べています。
*【資料1】「戦没者230万人:兵士を「駒」扱い 愚劣な軍事指導者たち 半藤一利さんインタビュー
このように、戦場に赴いた多くの人々の犠牲の後ろには、その数を上回る、彼ら兵士を戦地に送り出さざるをえなかった家族の悲しみや苦しみ、空襲に遭い疎開を強いられた子供たち等、非戦闘員だった国民全体の飢えと欠乏、政治権力がもたらした自由と人権の抑制があったのでした。
こうした悲劇をよく認識して憲法前文を読んでみましょう。すると、後段の1節である「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という文が、どれほどリアリティのあるものかが理解できます。